昭和40年に編集された写真帳炭坑設備、盛んだったスポーツ、趣味・同好の集い、社宅の暮らし等を72頁に亘って紹介する写真集。
スポーツではベルリンオリンピック3段飛びで優勝した田島直人さんやスキージャンプのオリンピック選手などが載っている。

             内容は

どこの炭鉱にも山神社があた。
上の上砂川山神社は瀬戸内海
大三島の大山祇神社からご神体を
戴いたと聞いていた。
5月に山神祭りがあり、
社宅街は華やかな祭り気分に包まれた。

    砂川炭鉱の特徴は水力採炭法
採炭機械は高圧の水を噴射する水力モニター
       上は1/10の模型

砂川炭坑で働き、上砂川町で暮らした時代に使っていたもの

              大山祇神社の社殿。
産業の神様ゆえに「安全御守」。

私は八王子の丘陵上で暮らす
    1941年生まれ

計算の道具たち
機械・電気が仕事ゆえ「計算」が多かった。
コンピュータはプログラムを作らないと動かない時代。面倒な
構造計算などは手間暇かけてフォートランプログラムを作ったが、
通常はハンドワーク。

下は計算尺。送電網の計算などに欠かせなかった。
左は機械式計算機。ハンドルを回す音とベルの音が独特だった。
左下はようやく発売された安価なポケット電卓。
    電卓は1桁1万円の時代。
昭和50年代にパソコンが出現するまで「計算」には苦労した。

私が住む団地
西行き定期便が羽田を離陸して
10分ほどで窓から見える。(左)

         砂川炭鉱に縁ある品々は整理もせず、
      大牟田、八王子と持ち歩き物置に積んでいた。
    炭鉱に縁のない方々から見るとガラクタ・・・・
   10年ほど前に引っ張り出し、飾り棚へ入れ時々眺めている。
            砂川炭坑遺産の一部かと思う。

炭鉱で働いた時代が懐かしく今も砂川炭鉱に若干の軸足が残る

坑内勤務で私が使ったヘルメットと     HONDA安全灯充電台
  安全灯(キャップランプ)            現在も使える
    時々充電している 

昭和の初期に創られたと推定する35頁の写真帳。
開坑当初からの古い写真で構成集されている。
上砂川町伊勢写真館制作との記載がある.。

       内容は.

地質図の一部。

趣味のパソコンSORD M−5
   BASIC言語で動かした。
   (展示用に貸し出し中)

炭鉱では仕事をする上で数々の資格が必要、
無資格で出来る仕事はとても少なかった。
ほんの一部を紹介すると、上は電気機関車の
運転資格免許証。

右は保安管理をするための試験合格証。

安全靴・・・「保安靴」と呼んでいた
      革製で重い

坑内巡回時に携行する道具の一部
点検ハンマー、ペンチ、電工ナイフ。

他にガス検定器、無線機、COマスクは必携品。

健保証。従業員だけの小さな
健保組合なので、経営は大変
だったと思う。


炭鉱従事者のバイブル「三川採炭学」

自宅の玄関に塊炭と石炭樹脂製の坑内員像
を飾っている。
始めての来客は必ず由来を尋ねる。

保安成績が優秀と表彰を受けた年に、
全従業員に配られた記念品の湯飲み。

oldphb.pdf へのリンク
oldpha.pdf へのリンク

パーソナルワープロ東芝JW−1
  (展示用に貸し出し中)

音叉時計

8mmシネカメラとシングル8フィルム

ハーフサイズ35mmカメラ
1本のフィルムで2倍撮せて
工事記録に便利。

ストッウオッチ
現場を巡回するときいつもポケットに入れていた。電力計測や電車の制動試験などに使う大切な道具だった。

砂川炭坑開坑(1914年)70周年記念で全従業者に
配られた温湿度計。

      保安啓蒙の手ぬぐい。
         しわだらけで残っていた。

「保安」が炭鉱の最大目標
だった。
標語は「安全第一」
で至るところに掲げてあった。
「生産より安全」の思想は素晴らしい。

測風器。専門職が坑道の平均風速を測っていた。測定の方法は独特で熟練が必要。

精密ガス検定器。

坑内無線機。坑内の40Kmに亘る坑道で、地上の司令所と交信できた。

砂川炭鉱はメタンガスの湧出が多いガス山だった。
通気への流出を抑えるため、採掘前の炭層からガスを吸引し、採掘跡からもガスを誘導していた。
このガスを燃料として7,500kWのガスタービン発電所を
運転していた。上はタービンの動翼。